ビデオゲームと古典的ゲームモデル(2)
『ハーフリアル』について、各章ごとの簡単な読後のレジュメ? をまとめました。
学生の人にはゲーム研究の入り口として、また社会人の人にはゲーム研究を実務に活かす切り口として、参考になれば幸いです。
ここでは、「2 ビデオゲームと古典的ゲームモデル」の章について紹介します。
今回紹介する内容はpp.50~59、「新しい定義――ゲームの6つの特徴」の内容です。
この節では、ユールが以降の議論で用いる「古典的ゲームモデル」の詳細な定義が述べられています。
結構すらすらと読めてしまうとは思いますが、ここを雑に読んでしまうと後の方で首が絞まってきそうなので、丁寧目に紹介していきます。
古典的ゲームモデルについて
古典的ゲームモデルは、序章の方でも書きましたが、以下の通りに定義されます。
おさらいしておきましょう。
- ①ゲームはルールを持つ
- ②ゲームは可変かつ数量化可能な結果を持つ
- ③ゲームは結果に対する価値設定を持つ
- ④ゲームはプレイヤーの努力を要請する
- ⑤ゲームはプレイヤーの結果に対するこだわりを要請する
- ⑥ゲーム活動の帰結は任意に取り決め可能である
「ルール」
- ゲームはルールを持つ:逆に言えば、ルールを持たないゲームは想定されていない
- そのルールは、十分明確に定義されている(確定性を持つ)必要がある:定義されていない場合(例えばTRPG)は議論する必要あり
- (疑問)なぜ議論してしまうのだろうか?
- →ゲームとコンピュータの相性の良さの理由:プログラム言語によるビデオゲームのルール実装は、このルールの確定性を求める流れに合致していた
- プログラミング言語による実装に応えうる
- (疑問)ここでルールは「ソフトウェア」として考えることが可能と述べ、また対になるものとして「ハードウェア」の概念を提示しているが、例えばGPUといった専門的な処理を行うプロセッサ、つまりルール=ソフトウェアを「内蔵」しているハードウェアは何に当たるだろうか?
- →個人的な予想としては、例えばルールブックなどがそれに当たるのだろうか。
- GPUについての認識が間違っていたらゴメンナサイ。。。
- 一方で、「ゲームの活動」が成り立つ為には、プレイヤーはルールを尊重=「ゲーム的態度」(スーツ)を取る必要がある
- (疑問)ゲーム的態度とは?
「可変かつ数量化可能な結果」
- ルールは複数の異なる結果をもたらす
- 一方ゲーム「活動」として機能するためには、ゲームの難易度が、プレイヤーのスキルに適合している必要がある
- 前提:結果の可変性はプレイヤーに依存する側面がある→例えば三目並べであれば、双方のプレイヤーが最善の戦略に気づくと、以降は引き分けとなっていく
- 結果が可変性を持たないゲーム→ゲーム「活動」をできない
- 結果に可変性を持たせる工夫
- システム上のハンディキャップを持たせる→ゲーム「そのもの」の話
- プレイヤーが結果が不確定である状態の維持につとめることも可能:「プレイヤー自身が作り上げる危機感」→ゲーム「活動」の話
- 結果が数量化可能=結果を議論の余地のないものとする
- 参加者の意見が食い違うようなゲームをプレイしようとすると、いろいろ問題が起きる
- (疑問)なぜ結果の評価基準が曖昧だと問題になるのか? 例えば「審判」という判断レイヤーは、何を回避するために置かれているのか?
- 評価基準も一つのルールとみなすと、明確に定義されていない場合は議論をする必要がある
- ということは、「議論が起きること」が問題視されているのか?
- 議論のために「ゲームを中断しなければならない」
- (コメント)可変性と数量可能性、どちらも結果に関わる話ではあるが、ここでは互いには独立しているかのように語られている。お互いに影響、または接続について、何かしら議論はありえないのだろうか(例:ハンディキャップによる取得得点の増加)
- (疑問)なぜ結果の評価基準が曖昧だと問題になるのか? 例えば「審判」という判断レイヤーは、何を回避するために置かれているのか?
- 参加者の意見が食い違うようなゲームをプレイしようとすると、いろいろ問題が起きる
「結果に対する価値設定」
- ゲーム内では、結果に対して価値が設定されている
=他の結果と比べ、ある基準の下で差別化された結果が存在する- この基準の伝達(=価値設定)は、ゲームの内外で行われる
- 例:パッケージのあおり文、説明書、動作による結果、可能な動作の制限、状況設定
- この基準の伝達(=価値設定)は、ゲームの内外で行われる
- ゲーム設計との関連性
- 挑戦のし甲斐:達成しづらさを基準に設計
- 達成のしづらさ:ゲームが持つ価値基準を元に設計
- 普通は「良い」結果ほど達成が難しい)
- (疑問)これの根拠は?
「プレイヤーの努力」
- ゲームにおいては、プレイヤーの行為がゲームの状態と結果に影響を与える:例外として「運ゲー」
- これはこだわりにつながる傾向にある(エネルギーを投入することで結果に対する責任を負う)→3章
「結果に対するプレイヤーのこだわり」
- ゲーム活動が持つ心理的な特徴で、プレイヤーはゲームの結果に感情的に拘る
- 努力の有無とは直結していない
- (疑問)これの根拠は?→おそらく3章で説明される
- これ自体は、ゲームに対する態度(not 形式)の問題
- つまり、ゲーム「そのもの」についての話ではなく、ゲーム「そのもの」を使う人間「プレイヤー」がそういった態度を持つ必要がある、という話
「取り決め可能な帰結」
- ゲームの結果に対して、現実生活上の帰結を任意に割り当てることができる
- プレイごと、場所ごと、相手ごとなどに分けることが可能
- また、ゲーム結果(賭け事での負け)に割り当てられた現実の帰結(奴隷身分への凋落)に従うかどうかは名誉の問題
- (疑問)法律は無かったのか、また社会環境面でそう誘導するものは無かったのか?
- 取り決め可能な帰結を持つためには、プレイヤーに対して安全が保証されている必要がある
- スポーツについては危険であることが魅力となっている場合もあるが、怪我は避けられるべき=安全は保証されているべきだという(暗黙の?)了解は存在している
- 結果に対する帰結の割当交渉は、2通りのやり方でなされる
- 1.ゲーム一般についての社会的な合意形成
- 2.ゲームの結果に割り当てるべき帰結にどのようなものが許容されるかの当事者間での話し合い
- どのゲームであっても、最終的には現実へ帰結をもたらす
- 現実の時間と労力の消費、および感情的な影響:おそらく金銭の消費も入るだろう
- この帰結は、特定の制限内でのみ認められる=制限を超えたものは違反行為とみなされる
- この帰結は、プレイヤーが意識的に制御できる事柄(「品物やお金」(p.58))に限られ、無意識で制御しづらい反応は取り決められるものではない
- 人間活動の多くは記号的なものであるため、ゲームと非ゲームの線引は難しい
- どんなものでも、原理的にはゲームとすることができる
- (コメント)この辺シリアスゲームやゲーミフィケーションの研究で引かれていそう
- 「ゲームの結果が深刻な帰結を持つ」場合、それはゲームとみなされない
- 選挙や株:通常の文脈で言えば、「現実的な帰結にのみ結び」(p.59)つく=帰結が任意に取り決め可能でないため、ゲームとみなされない
- サッカー:「プロ競技以外の場面でもプレイされる」(p.59)=(通常の文脈で言えば)帰結が任意に取り決め可能であるため、ゲームとみなされる
疑問点について
前章より持ち越した疑問点
今回読んだところから、これまでに出てきた疑問点を解決に当たりヒントはありましたでしょうか。
ひとまずおさらいしておきましょう。
- 2.古典的ゲームモデルの組み上げ方
- 3.創発型の新規性証明
- 4.ルールとフィクションの相互作用の詳細
- 5.ゲームデザインに対して可能なゲーム研究からの貢献
- 6.実際のゲームを研究に取り入れる形式
- 7.ゲームの楽しさを細かく論じることができる意味
- 8.ビデオゲーム研究と既存のゲーム研究の接続
- 定義を作るとき以外の接続
- 9.中間領域が持つ生産性の詳細
- 10.境界事例を述べる形式・具体例
- 11.「自己目的」性がゲームの定義に使用できない理由
- 12.重要な特徴を必ず伴うことが説得的である理由
- 13.「ルール」と「実践」の関係
- 14.「価値設定」と「こだわり」の差異
- 15.「(勝ち負けの感情的価値に)同意している」(p.49)ことの意味
- 16.カイヨワの非生産性議論への反例が適切か否か
- 17.「多くの人がゲームをプレイすることで生計を立てている」(p.49)ことの根拠
- 18.ゲームを取り決め可能な帰結を伴う活動とする根拠
解決した疑問点
さて、上記の疑問の内、今回読んだ範囲では以下の疑問点には併記したとおりの解決が見られました。 ハーフリアルを実際に読んだ方で、「いやその解決は間違っている」「その解決の仕方はおかしい」というのがあれば遠慮なく連絡(コメントなりメールなり)いただけるとありがたいです。
14.「価値設定」と「こだわり」の差異
- 価値設定:ゲームの内外で行われる価値基準の伝達により、ゲーム内でありえる結果の差別化を行うこと
- こだわり:ゲームを成立させるにあたり、「プレイヤー」が持つ必要のある態度
要するに、ゲームと定義されるにあたり、ゲーム自体が満たすべき要件とプレイヤーが満たすべき要件の差異でした。
この疑問を挙げる時点で出てきた予想と同じ感じでした。
15.「(勝ち負けの感情的価値に)同意している」(p.49)ことの意味
これは上の疑問と合わせて考えれば解決しますね。
つまり、同意していることがゲームが成立する前提となる、ということになるかなと。
冷静に考えれば、疑問を上げた時点で答えは出ていた気もします。
また勝ち負けの基準は、つまり結果に対する価値基準ということになり、その基準を受け入れた上での勝ち負けが生まれ、それに同意する/しないかでゲームが成立する、という話になるのかなと。
要するに、例えばFPSで(システム上の)敵を撃つことよりも(システム上の)味方の方を撃つことの方が(ゲーム的に)正当性があるとしたら、それはゲームとして成り立たない、ということができるということになるでしょうか。
18.ゲームを取り決め可能な帰結を伴う活動とする根拠
この疑問は、「どうしたら取り決め可能な帰結を伴うことができるか」と読み替えたほうが答えやすいでしょうか。
- 取り決め可能な帰結を伴うには、以下の要件を満たす必要がある
- 1.プレイ場面ごとにその取り決めが可能である
- 2.ゲーム内で、プレイヤーに対して安全が保証されている
- 3.ゲーム外において、現実的な帰結=例えば経済的損得、政治的損得以外にも結びつくこと
読み進めたらスッキリとした答えが出ましたね。
これはこれで、読む楽しさになるのではないでしょうか。
新しく出てきた疑問点
さて、解決した疑問がある一方、以下の疑問点も新たに出てきました。
- 20.割り当てられた現実の帰結に従うか否かについて、名誉以外の側面も存在したのでは?
- 例えば法律は無かったのか、また社会環境面でそう誘導するもの(例えば奴隷になることを拒むものが直接的に罰を受ける)は無かったのか?
- ゲーム論の範疇を超えてはしまうが、美談化させないため、また「名誉の問題になる」(p.57)ことの根拠がこれのみと思われため。
- 21.ゲームのルールが明確に定義されていない場合、なぜ議論になってしまうのだろうか?
- 参加者はゲームのルールを明確に定義する議論により、何を得ようとしているのか?
- 議論のために「ゲームを一旦中断してそれを解消しなければならない」(p.52)とあるが、それを回避するため?
- 22.p.53上の段落で、ルールをソフトウェア、頭脳やコンピュータをハードウェアの比喩で捉えているが、ではGPUといった専門的な処理を行うプロセッサ、つまりルール=ソフトウェアを「内蔵」(あるいは「体現」)しているハードウェアは何に当たるだろうか? というか、この議論はどこに位置づけることができるだろうか?
- →個人的な予想としては、例えばルールブックなどがそれに当たるのだろうか(GPUについての認識が間違っていたらゴメンナサイ。。。)
- 23.スーツのゲーム的態度とは何か?
疑問点まとめ
上記に合わせ、これまで持ち越したものも含めた疑問点をまとめると、以下の通りになります。
読み進めるにあたって、以下の疑問点の答えが落ちているか気をつけながら読んでいきたいと思います。
読んでいる方も、読む際の補助線としてこちらの疑問点を頭の片隅にでも入れてもらえると幸いです。
- 2.古典的ゲームモデルの組み上げ方
- 3.創発型の新規性証明
- 4.ルールとフィクションの相互作用の詳細
- 5.ゲームデザインに対して可能なゲーム研究からの貢献
- 6.実際のゲームを研究に取り入れる形式
- 7.ゲームの楽しさを細かく論じることができる意味
- 8.ビデオゲーム研究と既存のゲーム研究の接続
- 定義を作るとき以外の接続
- 9.中間領域が持つ生産性の詳細
- 10.境界事例を述べる形式・具体例
- 11.「自己目的」性がゲームの定義に使用できない理由
- 12.重要な特徴を必ず伴うことが説得的である理由
- 13.「ルール」と「実践」の関係
- 16.カイヨワの非生産性議論への反例が適切か否か
- 17.「多くの人がゲームをプレイすることで生計を立てている」(p.49)ことの根拠
- 20.帰結への従属を促す名誉以外の要因の有無
- 21.ゲームルールの明確性が議論の対象となる理由
- 22.ルール=ソフトウェアを「内蔵」しているハードウェアの議論の射程
- 23.ゲーム的態度の詳細