ゲームしている人のブログ

デジタルゲームとその研究に関することを書いていきます

ビデオゲームと古典的ゲームモデル(1)

『ハーフリアル』について、各章ごとの簡単な紹介……というか読後のレジュメ? をまとめました。
学生の人にはゲーム研究の入り口として、また社会人の人にはゲーム研究を実務に活かす切り口として、参考になれば幸いです。

ここでは、「2 ビデオゲームと古典的ゲームモデル」の章について紹介します。 今回紹介する内容はpp.37~50までの内容です。


疑問点について

前章より持ち越した疑問点

序論の紹介で書きましたが、序論を読んだ後に以下の疑問が残りました。
2章を読むにあたっては、これらの疑問がどう解決されるかを念頭に置くと同時に、新しく述べられていることを吸収していきたいと思います。

  • 1.ビデオゲームの定義を考えることの意味
  • 2.古典的ゲームモデルの組み上げ方
  • 3.創発型の新規性証明
  • 4.ルールとフィクションの相互作用の詳細
  • 5.ゲームデザインに対して可能なゲーム研究からの貢献
  • 6.実際のゲームを研究に取り入れる形式
  • 7.ゲームの楽しさを細かく論じることができる意味
  • 8.ビデオゲーム研究と既存のゲーム研究の接続
  • 9.中間領域が持つ生産性の詳細

解決した疑問点

さて、上記の疑問の内、今回読んだ範囲では以下の疑問点には併記したとおりの解決が見られました。 ハーフリアルを実際に読んだ方で、「いやその解決は間違っている」「その解決の仕方はおかしい」というのがあれば遠慮なく連絡(コメントなりメールなり)いただけるとありがたいです。

1.ビデオゲームの定義を考えることの意味

前章で書いたとおり、この疑問点については2つの側面から疑問があります。①学術的な面と、②実践的な面です。
まず、①学術的な面からの疑問点は、次のように解決されました。

  • テレビゲームの定義を考えることの、学術的な面での意味は、以下の3点を理解・文政する上で必要である。
    • ゲームのルールから成り立つシステム→つまり、ゲームそれ自体の「固有の特徴」
    • ゲームとプレイヤーの関係→つまり、ゲームとプレイヤー間で行われる「相互行為」
    • ゲームをプレイすることとゲーム外の世界の関係→つまり、例えば遊びと仕事の違い (『ハーフリアル』p.40より)

学術的な意義がより具体的になったかなと思います。
と同時に、それぞれを理解することの意義がなんなのかという疑問が出てきました。
パッと見た感じだと、

  • 固有の特徴を見ることの意味は3章に、
  • 相互行為を見ることの意味は4章に、
  • 遊びと仕事の違いを見ることの意味は5章に。

それぞれ書いてある気がします。
答えを見つけ次第また報告します。

一方、②実践的な面からの疑問は、次のように解決されました。

  • テレビゲームの定義を考えることの、実践的な面での意味は、新しい種類のゲームを考えつく上で良い補助線(「生産的集合」(p.41より))となる

つまり「これは新しい!」という基準を客観的に設けるのに使える、ということだと思います。
巷では新しいゲーム企画のプレゼンをする際はそのシステムがどのくらい新しいかの説明をしたりすると聞きます。
そういうときに定義が一通り頭に入っていると役に立つ、ということでしょうか。
あとついでに、一人で考える際や他人に相談された時の補助線になるようにも思えますね。

しかしこういう言い方だと逆に、「定義が頭に入っていないと新しい企画を立てられない」とか、「定義が頭に入ってないやつの企画は受け入れられない」とか頭の固い人が出てきそうで個人的には気になります。
本文自体では、定義は別にゲームについての考え方を狭めはしないよ! とは書いてあるのですが、現場の力学を鑑みると、その知識を持っている人次第になってくるんじゃないかなあと。
現場に定義を持ち込む際の手法も紹介できたら面白いですね。

8.ビデオゲーム研究と既存のゲーム研究の接続

前回この疑問点を書いたあとで気がついたのですが、どういう面で接続しているのか? の縛りがないと漠然としすぎてて回答を見つけづらくなりますね。
後出しで考えようかなと思ったのですが、そもそもそこまで知識がなかったので、見つけ次第挙げていく形にしたいと思います。

とりあえず、今回読んだところでは(一般的な)ゲームの定義を行う際に、ホイジンガ(1950)、カイヨワ(1961)、スーツ(1978)、アヴェドン、サットン=スミス(1971)、クロフォード(1982)、ケリー(1988)、ジマーマン(2004)の先行研究が引かれていました。

ここまで書いといてなんですが、上記の先行研究を引くことについて、一般的な意義についてもゲーム研究での意義についても言語化することができなかったので、もうちょっと勉強したらもう一度ここの意義について見直したいです。
(反省……)

その他この箇所で得られる内容

上記の通り解決したもの以外でも、読んだところからは以下の通り新しい知見を得られました。

1. 「古典的」とはどういうことか

  • ①ゲームが伝統的にそういったあり方をしていた
  • そのあり方は歴史的に変わりうるということ

→ここについては、上記の理由に内包される形で、ビデオゲームと対比させる意味で「古典的」とつけているように思えました。

2.定義の作り方

  • 完成度確認の手段:定義が広すぎたり狭すぎたりしないかを確認する
  • →境界事例(一部のみ定義を満たしている)がある場合は、存在理由あり方について述べる必要がある

研究における方法論の一つとして参考になりました。
 こういった方法論を意識するのも、(自分にとっては)勉強のうちです。

3.ゲームが「日常とは区切られている」という議論と「生産性がない」という議論の類似点

  • 「ゲーム内外で相互作用が可能であるかの問題」(=そういったインタフェースを持たせているか否か、実装の問題)であり、
  • かつ「その都度の取り決めで変わるようなあやふやな領域」(=一概には言えないし、一概に言おうとしたら恣意的=論理的な必然性がない発言になりそう)

→これの指摘はどういう意味を持つのか考えたとき、例えば、「ゲームは役に立たない」という議論がどれだけ無意味かがわかる(自分自身の研究に関して言えばシリアスゲーム研究への擁護?になる)かと思います。
(つまり、(強引に論を持っていくのであれば、)「その都度の取り決めで」日常との区切りやそこへの貢献度合いを変えられるのであれば、あとはゲームの内外で相互作用を可能にしてしまえば、「ゲームは役に立つ」と言えなくもないかもしれません(この辺はあまり自信ないです))
(一瞬「この論(=反論)を立てるのであれば、その具体的根拠が必要だよな」と思ったのですが、冷静に考えればそもそも反論する相手の説が(本書に沿う限り)あやふやなものであるから、そこまでする義理も必要性もあまりないような気がします)

4.「ゲームを取り決め可能な帰結を伴う活動として特徴づけるべき」(p.50)理由

  • まずこれは、p.53の訳者注を鑑みると、「ゲームを、その活動内部の結果と、それがゲームの外で持つ意味を、任意に決めることができる」という風に読み替えることができます。
  • つまり、「ゲームでランクAを取ること」が、現実世界で「猟銃を扱うにたる資格を持つ」だとか「爆発危険物を扱うに足る資格を持つ」ということ=ゲームを例えば資格試験に相当させることができるということ、でしょうか(表現が物騒なのはご愛嬌)。
    • つまり、(シリアスゲーム的な観点で言えば、)ゲームとゲームプレイを分析の際に切り分けることができると言明してくれたことは、ゲームを資格試験のように使うための道がひらけた、という点でご利益があるのかな、と思います。
      • この時点で、「ゲームして得た資格なんて本当に役に立つのか」という疑問は、「この資格試験で得た資格は実際に役に立つのか」という疑問とそう大差ない=資格の有効性をどの基準で認めるかの問題になり、ゲームであるかどうかは関係ない、という話にすることができるような……?

新しく出てきた疑問点

一方新しく知見を得られたと同時に、以下の疑問点も新たに出てきました。

  • 10.定義の作り方について:境界事例がある場合は、存在理由あり方について述べる必要があるが、この両者はどのような形式で述べれば良いのか?(方法論的な興味)
  • 11.なぜ自己目的的であるか否かが、ゲームの定義に使うことはできない(p.46)のか?(これは後で出てくるそうです)
  • 12.なぜ重要な特徴を必ず伴うことが、++説得的である理由++なのか?(p.48、スーツによるゲームの定義「『効率のよくない手段』だけをプレイヤーに許可する」(p.47)についての議論より。自明性を疑い、研究の質を挙げるための疑問)
    • つまり、他に認められているゲームの定義を伴うから、説得力を持つ、ということ?
    • この理由がわかると、一般的に説得的だと思われている主張に対して違和感を抱いたとき、その違和感を説明するための切り口になりそう。
  • 13.「ルール」と「実践」がどういう関係にあるのか?(→「ゲームのルールと社会的な集団形成が相互に関係する」(p.48)、つまり「ルール」と「集団形成」の2つが関係すると言う一方、なぜ「実践」と「社会形成」が関係すると述べているのか?)
    • これはあとの章で出てきそう
  • 14.「価値設定」と「こだわり」の差異は?:「目標」概念を「価値設定」と「努力」、「こだわり」に分けているが(p.49)、「価値設定」を行う主体がよくわからない(ゲームマスターや企画者の役割を考える上での疑問)
    • パッと見「ゲームを設定する人」と「プレイヤー」の差異な気はするが、あまり自信を持てない=裏付ける文章を見つけられない。
  • 15.(上の疑問と関連して、)「同意している」(p.49)とはそもそもどういうこと? 開発者が設定する価値観に、感情的価値を結びつけている、ということ?(ゲームマスターや企画者の役割を考える上での疑問)
    • また同意する対象である勝ち負けの水準もよくわからない(例:マルチシナリオの場合、バッドエンドを見ることも目標の一つとなりうる。プレイヤーが持ちうる解釈の幅を考える上での疑問)
  • 16.カイヨワの非生産性の議論に対する反例としてギャンブル産業を挙げているが、それは同じ水準での反例になっているのか?(先行研究の評価に関する疑問)
    • これについては、カイヨワがどういった基準のもとで「生産性がない」といっているのか知れば済むと思われる
  • 17.(上記に関連する疑問として)反例に「多くの人がゲームをプレイすることで生計を立てている」(p.49)と述べているが、これの根拠はあるのだろうか
  • 18.ゲームを取り決め可能な帰結を伴う活動とする根拠は?(実用性に関わる疑問)
    • これは2章のあとの方で出てきそう

疑問点まとめ

上記に合わせ、これまで持ち越したものも含めた疑問点をまとめると、以下の通りになります。
読み進めるにあたって、以下の疑問点の答えが落ちているか気をつけながら読んでいきたいと思います。
読んでいる方も、読む際の補助線としてこちらの疑問点を頭の片隅にでも入れてもらえると幸いです。

  • 2.古典的ゲームモデルの組み上げ方
  • 3.創発型の新規性証明
  • 4.ルールとフィクションの相互作用の詳細
  • 5.ゲームデザインに対して可能なゲーム研究からの貢献
  • 6.実際のゲームを研究に取り入れる形式
  • 7.ゲームの楽しさを細かく論じることができる意味
  • 8.ビデオゲーム研究と既存のゲーム研究の接続
    • 定義を作るとき以外の接続
  • 9.中間領域が持つ生産性の詳細
  • 10.境界事例を述べる形式・具体例
  • 11.「自己目的」性がゲームの定義に使用できない理由
  • 12.重要な特徴を必ず伴うことが説得的である理由
  • 13.「ルール」と「実践」の関係
  • 14.「価値設定」と「こだわり」の差異
  • 15.「(勝ち負けの感情的価値に)同意している」(p.49)ことの意味
  • 16.カイヨワの非生産性議論への反例が適切か否か
  • 17.「多くの人がゲームをプレイすることで生計を立てている」(p.49)ことの根拠
  • 18.ゲームを取り決め可能な帰結を伴う活動とする根拠

読めば読むほど疑問点が湧いてきますね。
おそらく疑問点の幾つかは本書を読み終えても残るでしょう。
残ったものについては、気が向いたら=その疑問点を解消する必要性が出てきたら随時検証していきたいと思います。

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