ハーフリアル紹介-4 フィクション(3)
『ハーフリアル』について、読後のレジュメをまとめました。
学生の人にはゲーム研究の入り口として、また社会人の人にはゲーム研究を実務に活かす切り口として、参考になれば幸いです。
ここでは、「4 フィクション」の章について紹介します。
今回紹介する内容は pp.191~200 までの内容です。
読んだところの概要・感想
今回読んだところは、小説や映画と比べた時、物語表現媒体としてゲームがどのような特徴を持っているのか、という話でした。ルールが基本となっている点で、他のものとは違うようですね。
物語論関係の用語については、今回の部分でユール氏がかっちりまとめてくれているのと、訳者の松永氏がその辺意識して日本語に訳してくれたためかなり分かりやすかったです。しかし逆に、用語がきちんと定義されてない議論が大量に出回っていると考えると、結構ゲンナリしますね。
ここまでの内容が結構定義論? 中心だったので、次の章からその定義を使ってどのように話を展開させていくのか楽しみです。
読んだところの内容まとめ
物語論周りの語の使い方について
- 物語(narrative):
- ユールによる物語の定義
1.複数の出来事の提示
2.固定され、あらかじめ定められた一連の出来事(Brooks [1984] 1992)。
3.特殊な種類の一連の出来事(Prince 1983)。
4.特殊な種類のテーマ(人間または擬人化された実体についてのもの)(Grodal 1997)。
5.あらゆる種類の舞台設定または虚構世界(Jenkins 2003)。
6.われわれが世界を理解する仕方(Schank and Abelson 1977)。『ハーフリアル』p.192 より。
- これらの定義を使い分けないと、議論が不毛なものとなりうる
- 創発的物語(emergent narrative、p.195)
- プレイヤーが語る物語であり、
ゲームのプレイを通してはじめてかたちを持つもの(p.195)
である。そしてゲームのデザインにより、ある程度その形を誘導することが可能である。
- プレイヤーが語る物語であり、
- ユールによる物語の定義
- (出来事:物語内容、及び物語言説を構成する単位?)
- 物語内容(またはストーリー、story):物語言説により語られる対象となる一連の"出来事"。(語る側の想定として=頭のなかに存在するもの?)
- 時間モデルで考えた時、虚構時間に対応する
- 物語言説(discourse):物語内容の語られ方=話される際の、"出来事"の並べられ方。
- 映画や小説の鑑賞は、この物語言説を通して物語内容を再構成することができるから可能となっている?
- 時間モデルで考えた時、プレイ時間に対応する
物語論の現実-虚構時間モデルとゲームの現実-虚構時間モデルの比較(pp.196-197)
- 共通点:両者も
現実の時間を使って虚構世界上の時間を理解する(p.197)
という点で同一である - 相違点について
- 1.虚構世界上の経過時間が所与のものか否か
- 物語論的時間モデルの場合:虚構世界上で経過する時間は決まっている
- ゲーム的時間モデルの場合:虚構時間上で経過する時間は決まっていない
- 2.現実の時間において、虚構世界上の"出来事"が時系列順に並んで提示されるか否か
- 物語論的時間モデルの場合:必ずしも時系列に並ぶとは限らない
- ゲーム的時間モデルの場合:基本的に時系列順に並ぶ(並ばなければ、結果がすでに決まったもの=可変でないものとなってしまう)
- 3.現実の時間が、虚構世界上の時間において意味を持つか否か
- (物語論的時間モデルの場合:現実時間でなされる行為(語り?)は、虚構世界の時間上で起きた"出来事"を再構成する、といった一方通行の構造しか持たない?)
- ゲーム的時間モデルの場合:現実時間でなされた行為は虚構世界の時間上で意味を持つ、といった二重の構造を持つ
- 4.現実の時間に対応する虚構世界時間の存在が絶対か否か:
- 物語的時間モデルの場合:物語言説の時間(=語る行為の時間)があれば(必ず?)物語内容が存在する(=無駄なく言説から再構築できる)
- ゲーム的時間モデルの場合:プレイ時間があるからと行って、それに対応する虚構時間が存在するとは限らない(そもそも虚構世界が存在しない場合もある。例えば抽象的なゲーム)
- 5.虚構世界上の時間が整合的に経過するか否か
- 物語的時間モデルの場合:虚構世界上の時間は整合的に流れる
- ゲーム的時間モデルの場合:虚構世界上の時間は非整合的に流れることがある
- 1.虚構世界上の経過時間が所与のものか否か
ゲーム上でできる物語について
- 映画や小説といった物語表現と、ゲームの違い
- 同一化する対象の有無
- 映画や小説:無いものは(普通)つまらない
- ゲーム:なくても面白い→挑戦課題のクリア自体がポジティブな経験となるから
- (コメント)創発的物語の議論を踏まえると、プレイヤーを主人公として、一連のゲームプレイが"出来事"になるから、ということかなあと
- ネガティブな目標/展開の可用性?
- ゲームの場合、映画や小説と比べて注意するべき点がいくつかある
- 1.虚構世界上の目標は、受け手自身の目標として受け入れやすいものであることが望ましい
- ルール上の目標と虚構世界上の目標がある時、プレイヤーはルール上の目標のみに拘るわけではない→虚構世界上の目標は、プレイヤーの動機づけになる
- 2.ルール上の目標と、虚構世界上の目標は一致していることが望ましい
- 3.プレイヤーには(普通)状況に対処する権限が与えられている
- 皮肉的な目標のゲームを作ることが難しくない一方、悲劇的なゲームを作るのが難しいのはここにある
- 1.虚構世界上の目標は、受け手自身の目標として受け入れやすいものであることが望ましい
- ゲームの場合、映画や小説と比べて注意するべき点がいくつかある
- 同一化する対象の有無
虚構世界表現手段としてのビデオゲームについて
- 他の表現形式と比べた時の特徴
- 1.(ゲームとしての特徴)虚構世界の精密さについて、他の表現形式と比べると許容範囲が広い
- 2.(媒体の進化により)ルールの運用が自動化されている
- →これにより複雑なルールを持つゲームが可能となり、そこから緻密で正確な虚構世界を描写することも可能になった
- 3.ルールの存在がプレイヤーから見えないようになっている
- →これにより、ゲームの外観に注意を誘導することができるようになる
- 4.非電子ゲームよりも虚構世界を描きやすい
- →(非電子)ゲームと比べた時、ビデオゲームは虚構世界の表現力が向上した点で革新的である
- 最近(2005年時点で)の潮流
- フィクションの側面の強調、整合的な世界の形成、プレイヤーにとって自由度の高いゲーム世界の提供
- →「
もっと整合的な世界(p.200)
を持つゲーム」と、「プレイヤーにより大きな自由を与える(p.199)
ゲーム」の2つの方向性に進んでいる- (コメント)ユールは本章でこの流れを
互いに相反するふたつの方向(p.200)
と書いているけど、現在の視点で見ると決して相反するものでもないとは思う。- 例えば p.173 の、グラフィックの質を自由に変えられるゲームや、Half-LifeといったMOD(Modification、ユーザーによるゲームの改造)を許容するゲームは、ある種両者を両立させていると言えるのではないか?
- →つまり、①プレイヤーに対して改変するためのインターフェースを開くか否か、また②デフォルトでどのような世界を用意するかの問題で、整合性-自由度の二極対立になっているというわけではないと思う。
- ただし、上記のコメントは開発コストやら実装可能性を度外視した上での議論(本章でも特に開発コストについて言及が無かったので)。
- 「開発コスト」や「実装可能性」という制約を入れると、整合性-自由度の二極対立になるのは(個人的に)疑問なく受け入れられる
- そこまで複雑なプログラムを組んだこと無いので直感的にはまだよく分からないのですが、「ゲームのシステムを作る」のと「外部からの改変を受容するインターフェース」を作るのを両立するのはなんとなく大変そうですね(読み込みタイミングの問題とかロード時間の問題とか……)
- (コメント)ユールは本章でこの流れを
疑問点について
今回も、読むに辺り特にテーマにできそうなものが無かったので、振り返りは割愛します。
新しく出てきた疑問点
- 43.「創発的物語」というのは、どういった文脈で出てきているのだろうか? また、これに着目することにより、どういったメリットが、何に対してあるのだろか?
- ユールが p.195 で取り上げているからには、何かしら成熟した文脈が存在するのだろうが……?
- 雑に調べてみた限り、日本だと「創発的物語をプレイヤーに与えるゲームは面白い、だからどのようなゲームにすればプレイヤーに創発的物語を与えることができるか」というところからこの語への注目が始まっているように見えるが……?
- 参考サイト
- 「ゲーム研究と『ナラティブ』」(訳者の方のサイトです)
- 「ゲームにおける新たな概念『ナラティブ』を語るスレ」(読んでると面白い&参考になるリンクが張ってある)
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/gsaloon/1384788518/
- 「ゲーム研究と『ナラティブ』」(訳者の方のサイトです)
- 個人的には、この「創発的物語」という概念は「面白いゲームをデザインする役に立つ」というよりも、「こういう風にすると面白いゲームになる可能性があるんですよ(だから実装してもいい&実装にリソース割いてもいいよね?)」というような使い方しかできないように思えるのですが、どうなんでっしゃろ
- 44.「同一化」の議論の中で、「縛りプレイ」とかは扱えるのだろうか?
- 例えば「このキャラが公式で使っているのはこの武器だから、この武器以外使わない」、みたいな
- ダークソウルでゲーム内コスプレやっている人とかは、このこだわりを強く持っていたりしそうですが……
- そもそも p.198 で「同一化」を取り上げているのは、あくまで「目標」についての文脈であり、「手段」についての文脈ではないので、同じように扱えるかはわかりませんが……
- むしろ縛りプレイについては、どのような文脈で扱うのが適切なのだろうか?
- 例えば「このキャラが公式で使っているのはこの武器だから、この武器以外使わない」、みたいな
疑問点まとめ
本書外への疑問点
- 43.「創発的物語」という語に着目するメリット
- 44.「縛りプレイ」を議論する文脈の所在